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語り部たちの跡継ぎ  『帰ってきたおばあさん』
久しぶりにマイブログに向かう。
8月末の数日間、山のふもとでテント生活をしてきたのだが、それについてはいずれ記したい。今回は昨日観た一人語り芝居について簡単だが触れておこう。

わずか4日間というのに、谷川の音と、鳥や虫のなく声のほかは何もない静寂な世界に浸りきっていた私は、戻ったばかりの東京の喧騒の中を、銀座へと向かった。
身も心もどこかちぐはぐで、なにやら覚束ない。
駅のアナウンスも地下鉄の轟音も、耳に突き刺さる騒音でしかない。銀座の街並みは異様に暑苦しい光景として目に映る。
そんな中、また今度は別の異空間に引き込まれていった。神田さちこ語り芝居『帰ってきたおばあさん』(銀座・博品館劇場)という、ずっしりと重いこの世の虚と現実の世界に、である。

あらすじを記そう。
中国から懐かしい祖国日本に一時帰国した王桂花(日本名:鈴木春代)が、故郷の浜辺で、ボランティアに自身の半生を語り始める・・・。
結婚して間もない二十歳の春代は、夫とともに旧満州へ開拓団の一員となって中国大陸へ渡った。
新しい生活は農業も順調で、4人の子宝にも恵まれ平穏な幸せが続いた。
しかしそれは日本の敗戦によって一変する。

逃避行の中で春代は、夫や同行の日本人達から「小さい子どもは足手まといになるから殺せ」と言われ、万やむなく我が子を手にかけてしまう。
さらに匪賊に襲われ、心身ともにぼろぼろになっていく。
そんな彼女を、夫は救うどころか汚いものを見るような目で冷酷に彼女を捨てて行った。

置き去りにされた彼女は中国人の王才人に助けられる。
周囲の冷たい視線の中で、改名もして中国人になりきろうとし、必死に生きていく彼女。
やがて王との間に子供も産まれ、再び新しい家族と幸せを見いだした。

が、しかしそれもつかの間、文化大革命の大嵐が襲う。
日本人であるということだけで彼女はつるしあげられ、日本人を助けたという理由で夫も、子どもたちさえも下放追放され、彼女の家族はバラバラに・・・

国策に煽られ渡った異国の地に、結局はただ放り出されたのだ。
過酷な運命に翻弄された一人の名もなき女性。自分を捨てて去った夫に彼女は叫ぶ「あなたは日本の国そのものだ!」と。
絶望の果てから激しい生への執着はどこからうまれたか。ひたすらに、それ故したたかに生き抜いた彼女が、60年の歳月を経て前夫に会おうとする。一言「私は生きてました。そしてここまできましたよ」と言いたくて・・・。

もう、これ以上は記すまい。ぜひ観てほしいから。ただ最後の方で語る言葉だけは書いておこう。
『私たちは、日本の国へ何も言うことはありません。ただ、私たちのような者が中国の地にまだたくさんいることを、忘れないで下さい。』

神田さちこという優れた女優を、実は初めて知った。
今回の公演も、そのスタッフとして手伝っているある女優の招待によるものだったのだ。だから、この作品が1996年の初演以来、全国各地で何十回も行われてきていると知って、自分の寡聞に過ぎることを恥じた。
すでにご覧になった方も多いであろうし、またこれからも幾回となく上演されるであろう。

この種の内容の芝居は、ともすればプロパガンダ臭が強かったりクサ過ぎる演技となって質を落としがちだが、神田さんは淡々と、またユーモアを交え、しっかりと観客をつかみ込んでいく確かな演技力があった。彼女の厚くて熱い想いに満席の場内が完全に包み込まれた90分であった。
単なる作り物ではない事実に基づくこのような「物語」は、一人だけによる優れた語りと抑制した演技というシンプルなものでこそ、よりその効果が表れたと言えよう。

鳴り止まぬ拍手に押されて挨拶に出た神田さんは言う。
「わたしはこれからも、このおばあさんのような人たちの、胸のつぶやきを、そのひとつぶひとつぶを、一人でも多くの人へ伝えていきたいと思います。」

戦後60年、戦争の語り部達が次第に少なくなっていくとともに、なにやら怖いナショナリズムの兆候が頭をもたげつつある中、こうした語り部の跡継ぎたちが、地道に、しっかり腰を据えた活動をしていることに心からの敬意を払いたい。
by SnowAlps | 2005-09-04 23:40 | diary
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